ポール・ワツラヴィック ジャネット・B・バヴェラス ドン・D・ジャクソン 著 山本 和郎 監訳 / 尾川 丈一 訳 行動障害に注意を払いながら、人間コミュニケーションの語用論的(プラグマティック)な効果を扱う。もっとも広い意味でのシステム論的相互作用の問題に遭遇するすべての領域の研究者に向けて書かれた。 A5判・348ページ 定価2,730[本体2,600円+税] ISBN 978-4-86108-044-9 C3011 ¥2600E 2007. 9. 30 第2版 第1刷 |
もくじ
日本語版序文 ⅳ
序文 ⅵ
第1章 知的枠組み 1
1.1 はじめに 1
1.2 関数と関係性の概念 5
1.3 情報とフィードバック 10
1.4 冗長性 14
1.5 メタ・コミュニケーションと微積分の概念 21
1.6 結論 25
第2章 コミュニケーションにおけるいくつかの試案的公理 31
2.1 はじめに 31
2.2 コミュニケーションしないことの不可能性 31
2.3 コミュニケーションの内容と関係のレベル 35
2.4 連続した事象のの分節化 38
2.5 デジタルおよびアナログ・コミュニケーション 44
2.6 シンメトリー的およびコンプリメンタリー的相互作用 51
2.7 まとめ 54
第3章 病理的コミュニケーション 57
3.1 はじめに 57
3.2 コミュニケーションしないことの不可能性 57
3.3 コミュニケーションのレベル構造(内容と関係性) 66
3.4 連続した事象の分節化 80
3.5 アナログ的およびデジタル的構成要素間の“翻訳”における誤解 85
3.6 シンメトリー的およびコンプリメンタリー的相互作用における潜在的病理 94
第4章 人間の相互作用の機構 109
4.1 はじめに 109
4.2 システムとしての相互作用 110
4.3 開放システムの特性 115
4.4 進行中の相互作用システム 121
4.5 まとめ 139
第5章 劇「ヴァージニア・ウルフなんてこわくない」に対するコミュニケーション的アプローチ 141
5.1 はじめに 141
5.2 システムとしての相互作用 144
5.3 開放システムの特性 148
5.4 進行中の相互作用システム 153
第6章 パラドックス的コミュニケーション 183
6.1 パラドックスの性質 183
6.2 論理・数学的パラドックス 187
6.3 パラドックス的定義 188
6.4 語用論的パラドックス 192
6.5 まとめ 229
第7章 心理療法におけるパラドックス 231
7.1 二者択一の幻想 231
7.2 “終わりなきゲーム” 234
7.3 症状の処方 238
7.4 治療的ダブルバインド 242
7.5 治療的ダブルバインドの例 245
7.6 遊び、ユーモア、創造性におけるパラドックス 257
エピローグ 実存主義と人間コミュニケーション理論:展望 261
8.1 実在的関係における人間 261
8.2 生物にとっての環境 262
8.3 自己定義する人生 263
8.4 知識の階梯、サード・オーダーの前提 264
8.5 意味と無 268
8.6 サード・オーダーの前提における変化 270
参考文献 227
用語解説 287
索引 291
監訳者あとがき 305
付録(ダブルバインド理論の成立とその歴史) 308
著者・訳者紹介 328
監訳者あとがき
この本に出会ったのは、1969年1月にハワイ東西センター社会科学研究所にいる時、ハワイ大学の生協の書籍部の書棚であった。まだMRIの存在どころか、短期心理療法や家族療法についても知らなかったころである。人間コミュニケーションについてその相互作用の効果について論じているのを見てとって、これは面白いと思って早速手に入、れその晩一気に読んだことを記憶している。1981年4月から慶応義塾大学に赴任することになり、その2年後に大学院生も集まりだし臨床心理の教育も始まった。そのころ大学院の授業でこの本をとりあげた。ところが大学院生の中にはこの本の魅力にとりつかれ、その中で尾川丈一君はとくにこの本の考え方にひかれ、Paul WatzlazickやJohn WeeklandのいるPalo AltoのMental Research Instituteにまででかけて訓練をうけてきた。この本を訳すきっかけになったのもこうしたいきさつがあったからである。
「人間のコミュニケーションの相互作用のパターンそのものを見いだしそれを分析し、その相互作用のパターンを変えることに心理療法の基本がある」というのが本書の問題提起である。この考え方は、従来の考えは「クライエントが示したり訴えたりするものは、何かほかのものの症状にすぎないとみなされ、その症状はなんらかの底に潜む問題の結果である。だから問題の解決は、その底に潜む問題を洞察することでなされるのである」というのとは違って、「我々は隠されたものに関わっているのではない。我々が欲するものは、今や洞察することではなく展望することである(#122)。たしかに、ある意味では『隠されたもの』は存在するけれども、それが隠されているのは表面の下にあるからではなく、まさにちゃんと表面上に見えているからにほかならない」とヴィトゲンシュタインが「哲学探究」の中で述べているようなポスト構造主義的視点を備えている。
この本はまさに、Palo AltoのMRIで始められたコミュニケーション派の短期心理療法の原点を提供している。それだけではなくフロイト的構造主義とは別な発想に立つポスト構造主義の視点で展開するSteve de ShazerやMichael Whiteの短期心理療法、「逆説と対抗逆説」を持ち込んだミラノ派のMara Selvini Palazzoli、そしてシステミック・アプローチを備えた家族心理療法に大きな影響をあたえている。
訳者が初め興味をもったのが、このフロイトよさらばであった。がそれだけでなく、現代アメリカの知のリーダーであるGregory Batesonの理論が使われ、Alfred North Whitehead and Bernard Russellの論理階梯論、Ludwig von Bertalanffyの一般システム論などさまざまな知の枠組みが提供され、それを駆使してコミュニケーションの語用論が論じられている点であった。
Paul Watzlawickには1987年に来日され講演をされた時、お目にかかっている。講演の内容はこの「語用論」と「変化の原理」で語られていた内容でありすでに目を通していた院生などは非常によく理解ができたようである。パラドックスの話で禅の公案の話をされたのが印象に残った。博識な理論家という印象を持った。それに対して序文を寄せてくれ、尾川君の先生になってくれたJohn Weeklandは、農夫のような朴訥なお人柄の方であった。「Etiology of Schizophrenia」中で彼が書いた分裂病の家族についての論文に感銘したことを伝えると、素直に喜んでくれたのが印象に残った。
本書が訳出されるまで30年かかったことは良かったと思っている。本書が出版されたころは、まだBatesonは日本では知られていなかった。その後翻訳が次々にだされ訳者も学生のゼミでも採用しBatesonの理論をかなり理解したところである。またPaul Watzlawickの「How real is real?」や「変化の原理」などもゼミ生と読んだりして現実構成主義の考え方とコミュニケーション派の醍醐味を味わっている。Jay Haleyの展開する戦略的心理療法なども理解できていたし、ヴィトゲンシュタインの研究も進み翻訳書や研究書もだされ勉強しやすくなってきており、この本で引用している本を一通り目を通しその考え方を理解するのに30年は必要であったと考える。
この本は1967年の出版である。ある出版社では60年代でだされたもので価値ある本はすべて日本語で訳出されているといって翻訳出版を断わられたことがある。だがこの本は価値ある本であることは読者自身が判断されるだろう。とくにこの本は、哲学、論理学、数学、言語学、文学、文化人類学、システム論、精神医学、行動科学、臨床心理学等の文献がちりばめられ、翻訳にあたっては広い分野の知識が要求され、また訳出に当たってはそれぞれの分野の術語を的確に用いることに苦慮した。多分さまざまな分野の方が読者になられると思うが、訳語についてご不満がでるかもしれないが、ご容赦願いたい。極めて学際的な本書の翻訳を手掛けることができたのも、慶應義塾大学文学部人間科学専攻で、「知の枠組み」について考え、さまざまの領域に文献に目を通す機会が得られたことにある。訳者の人間科学分野の仕事のひとつとして本書の翻訳を提供したい。
最後に二瓶社の編集者吉田三郎氏にはこの本の翻訳にあたり、本当にゆっくり時間をかけさせて頂き、何度も校正し直したりで、暖かく見守ってくださったことに大変感謝いたします。
平成9年10月1日
山本和郎