アンコモンセラピー

ミルトン・エリクソンのひらいた世界

 

ジェイ・ヘイリー
高石 昇/宮田敬一 監訳

A5判・400ページ 定価[本体5400円+税]

ISBN 4-931199-75-5 C3011 \5400E

2001. 1. 1 第1版 第1刷

現代心理療法の一つの原点。ブリーフのバイブル。

目次
§1 戦略的な心理療法
§2 家族のライフサイクル
§3 求愛期:青年に変化をもたらす
§4 若者の性格改造
§5 結婚とその結果
§6 出産と子育て
§7 夫婦と家族の難局
§8 親の子離れ
§9 老年の苦悩
 監訳者解説 
 監訳者あとがき


「はじめに」全文

本書の初版のエピローグで私は次の様に述べている。
 70才になり引退してからのエリクソンは彼自身の終章に向かっている。症状がひどくて車椅子を離れることが出来なくなり患者を診ることもごく稀になった。彼が晩年におこなった治療法はとても簡潔で効率的となり、これは多くの芸術家たちの晩年の作品を思いおこさせる。ピカソの絵画も簡潔さを増し、ボルヘス訳注1) の小説もますます根元的なものになっていった。エリクソンの治療スタイルも経済性に富み患者の状況のポイントを素晴らしい迅速さで把握し、治療法もまるでダイアモンドカッターの動きのように無駄な努力のない簡潔で精緻なものとなった。年をとると共に賢明さは増すのだが、それを充分に使える体力を失うということは人生の避け難いアイロニーであろう。
 1980年のエリクソンの死後、彼のストラテジーアプローチは流行の一途をたどり、到る所で研究と指導が行われている。彼は心理療法界の論客から広く世界から崇められる人物へと変化した。彼に関する本は月毎に出版され、多数の人がエリクソン療法の講習会を開き、彼の名誉のために設立された財団が催す集会には数千の崇拝者が出席し、今や彼はそれに囲まれるカルトになった。長年にわたる努力によって人に変化を与える方法に革新をもたらしたことがこのような信奉者を生んだことをエリクソンは喜ぶだろうが、彼はとても実際的な人なので自分の周りにカルトが形成されることはあまり喜ばないであろう。しかし彼は自分の治療法に神秘のオーラをまとわせることは好きな人でもあった。そこで私は本書の表題を「魔法と常識」にしようかと思ったこともあった。このいずれもが彼の人生を特徴づけていたからである。
 私がコミュニケーション研究計画でグレゴリーベイトソンのもとにいた1953年の1月、私はある得難い機会に恵まれた。当時ジョン・ウィークランドもこの研究計画に参加していたが、ベイトソンは我々にコミュニケーション過程に見られるパラドックスに関する限り、どんなことでも好きなことを研究しても良いという完全な自由を与えてくれていた。丁度その始めの年、ミルトン・H・エリクソンが我々の地域で催眠の週末セミナーを催した。私が出席を希望するとベイトソンが手筈をとってくれた。彼はマーガレット・ミードと共にバリ島で制作したトランスの映画について、エリクソン博士に意見を求めたことがあり、随分昔からの知り合いであった。
 そのセミナーの後、私の研究は催眠での人間関係におけるコミュニケーション的側面を取りあげることになった。ジョン・ウィークランドもこの計画に参加することになり、我々はエリクソンが開業するフェニックスを定期的に訪問し始めた。我々は何時間も費やして催眠の本質について語り合ったり、彼の治療場面を見せてもらったりした。エリクソンは月に何度も、合衆国のあちこちに巡業して講演や指導をするかたわら、忙しい開業生活を送っていた。二度のポリオの発作に襲われ、杖に頼るぎこちない歩行ぶりではあったが、非常に健康で活気にあふれていた。彼の診療所は私邸であって、居間に接する小さな部屋が診察室で、居間が待ち合い室となっていた。彼には8人の子どもがあったが、1950年代にはまだ幼少でほとんどが家にいた。そこで待ち合いの患者は彼の家族と交わっていた。その家は静かな通りに面する質素な煉瓦造りであった。この指導的な精神科医ならばおそらくもっと見栄えのよい診療所にいるであろうと期待して全米の各地から訪れた患者は、これを見て果たしてどう感じただろうと私はいつも考えていた。
 暫くエリクソンの催眠を研究した我々の興味は、やがて治療の形態に移っていった。1950年代半ばに私は短期治療を特徴とする心理療法家として開業を始めた。私の治療はクライアントが問題を出来るだけ速やかに克服することであり、通常、催眠を用いた。しかし間もなく単なる催眠では治療効果のあがらないことに気がついた。変化を引起こすためには私は何かをしなければならない。そこで短期療法について相談できる治療者を求めた。しかし長期の洞察療法全盛のこの時代にそれをみつけることは困難であった。我々の研究計画で分裂病の治療を指導してくれたドン・D・ジャクソンも多いに助けにはなったけれども、ブリーフセラピーについての彼の経験は限られていた。私はそれでも誰か助言者がいないかと思って探し回っているうち、短期療法について特に経験のある知人はエリクソン博士しかいないことがわかった。催眠に関する会話から、催眠使用の有無はともかくとして、エリクソン博士が独特の形態の治療を行っていることがわかった。私は自分が治療している症例について指導をあおぐために彼を訪問し始めた。彼の治療形態は独特であり、しかしこれは心理療法学界でまだ充分に報告されていないことがまもなく明らかになった。そこで彼のアプローチをブリーフセラピーの論文で報告した。これは後に発刊された“Strategy of Psychotherapy”注: 訳注2) の一章となっている。このアプローチ を一冊の本にして詳述しようと思ったのだが、これは大変な労作でもあり、また彼の治療技法を概念化するのに適当な理論的枠組みを持たないために数年間躊躇していた。当時の我々の研究計画はいろいろな心理療法を対象として、さまざまな学派のアプローチをテープやフィルムに記録していた。しかし、エリクソン博士は彼自身がユニークな学派であり、これまでの精神医学や心理学では記述出来ないものであった。
 この頃、家族に志向した考え方が取り入れられはじめて、心理療法学界に革命が起っていた。これまで症状と呼ばれ、個人の問題と考えられていたものが対人関係の産物であると再定義され始めたのである。我々の研究でも、新しく発展しつつある家族療法をとりあげ、夫婦や家族を治療の対象とし始めるようになるにつれて、エリクソンの治療的アプローチが特に教唆に富むものであることに私は気づいた。彼の治療を家族理論の枠組みの中に位置づけることが出来るように思われた。彼の治療が家族に志向することはその研究業績を見ても明らかで、彼と話し合ったり症例の検討をすると、家族志向性が見えてきて、これが人間の悩みの中心問題として家族を見る新しい観点を得るのに役立った。人間の問題を、家族が時を経るにつれて変化していく過程で避けることの出来ないものとして考えると、エリクソン博士の治療がこの考えに根ざしていることが理解できた。私には彼の治療を記述する枠組みが見つかったのである。本書に述べる驚くべき症例報告について読まれた方で、エリクソンについてこれまであまり知識がなく、もっと彼を知りたいと思われる方は“Advanced Technique of Hypnosis and Therapy”注) の 中にある、エリクソンの論文選集と彼の伝記、研究業績を概括した付録などを読まれたい。その中にはエリクソンへの関心をさらに追求したい方のために、彼の完全な著作目録も掲載してある。
 しかしここで簡単にエリクソンの略歴について述べておこう。彼はウイスコンシン大学に在学して、コロラド総合病院で医学博士となり同時に心理学部で修士号をとった。コロラド精神病院での特殊訓練を終えたのち、ロードアイランド州立病院で下級精神科医となる。1930年にウースター(マサチューセッツ)州立病院のスタッフとなり、研究部門の主任精神科医となる。4年後ミシガン州のエロイスに赴き、ウエイン州立総合病院の精神医学研究および教育主任となる。彼はまたウエイン州立大学医学部の精神科準教授となり大学院教授も兼ねた。その頃、イーストランシングのミシガン州立大学の臨床心理学の客員教授をも短期間兼ねている。1948年、主として健康上の理由のため、アリゾナ州フェニックスに移り住み個人開業を始めた。彼はアメリカ精神医学会とアメリカ心理学会のフェローであり、アメリカ精神病理学会のフェローでもある。ヨーロッパ、ラテンアメリカ、アジアなどにおける多くの医学催眠学会の名誉会員であり、アメリカ臨床催眠学会の設立会長であり、その機関誌の編集長もつとめた。1950年からの彼の人生はフェニックスにおける多忙な開業と、全米および多数の外国への頻回の出張セミナー講義から成り立っていた。
 この書は珍しいかたちの共同執筆によるもので、実際に執筆し、人類の悩みの本質に関する考え方の枠組みを仕上げたのは私であるが、ミルトン・H・エリクソンの貢献はその枠組みづくりの私の考え方に影響を与えたことと、数々の素晴らしい治療技法を提出してくれたことである。実際に書いたのはほどんど私であるが、症例はエリクソン博士の論文と、彼との会話のテープ記録から取り出したものである。だから、この作品は私の17年にわたるエリクソンとの会合から生まれた共同産物である。
 とは言っても本書で述べられる見解は必ずしもエリクソンのそ れではなく、私自身による彼の治療アプローチの記述であり、それを彼に読んでもらって承認されたものである。治療についての彼の見解は、本人が書いた論文に述べられている。ここに述べた症例報告は彼の言葉によるもので、そのほとんどが論文から取り出されたものであるが、私の強調も交えて編集している。私が症例をとり上げて、私によく理解でき、おそらく彼にも理解できるような枠組みで検討した。本書はエリクソン療法の横顔のごく一部を述べたもので、彼は100以上の論文を書いており、彼と私の会話も100時間以上におよぶ。したがってここで取り出された症例は彼の治療の膨大な資料のごく一部にしか過ぎないのである。彼は広範な催眠技法に通じているがここでは触れないし、さまざまな個人や家族へのアプローチもここでは触れない。
 本書はまたエリクソンとその業績を批判的に概観するものではない。彼のやり方に対する私の異論は本書では強調せず、治療についての彼の考え方を出来る限り強調した。彼の意見に賛成できる時には、彼のアプローチを用いた私の症例を引用したが、賛成できない場合には彼の考えを述べ私の意見は差し控えた。
 彼の治療の成功例ばかりを強調し続けることに読者はいらだちを感じられるかたがあるかもしれないが、それはエリクソンが失敗をしたことがないとか、彼には限界がないということを意味するのではない。治療の要点を説明するためには、時には失敗についても言及されることがあるが、本書は人間の問題を解決する成功法を説くものなので、ここにあげる症例は彼の治療の成功例とした。これまでに理論の素晴らしさが強調され、治療効果の乏しさに触れないが常に失敗する心理療法についての著書はすでに沢山ある。
 このテクノロジーの時代に治療者の生の姿を描こうとするならば、当然治療中のフィルム、少なくともテープ記録を提示して、微妙な治療行動を証拠づけるべきであろう。しかし本書はもっと旧式のもので、主として自分の治療についての治療者自身の記述による症例報告である。したがって治療で生じたことを主観的に解釈する欠点があろう。治療者が自分の治療について記述すれば、バイアスのかかるあらゆる機会が生じる。しかし治療場面の提示に如何なるテクノロジーが用いられても、治療者が自分の治療について述べることの意義は常にあると私は思う。私は治療者を記述するのに治療中のオーディオ記録やビデオテープや映像などと、さらにはそれに対する治療者のコメントや理論的な議論も行ってきた。治療者が問題をどのように見、それに何をしたかを記述した症例報告は治療的アプローチの理解にこれからも価値を失なわない方法であろう。本書のような症例報告によって、広範囲の人間の問題にアプローチする多数の技法を要領よく振り返ることが出来よう。症例を完結に述べ、二、三の要点を説明することにしたが、どの症例もこれをもっと詳細に述べれば一冊の本になるようなものである。このように非常に複雑な相互交流を単純化しすぎることによって本書は実際には症例の逸話集のようなものになってしまったが、そこに要約されたものは治療中におきる極めて重要な出来事を示している。概して、エリクソンは自分のアプローチを極めて明確に述べる。時には少し劇的な描き方をするが、それは彼の世界観がそのようなものだからである。目前の問題を、とても困難なものであり、しかし結局は解決を見い出すという述べ方をしばしば好んでする。彼の見方を理解すれば、彼の治療行為は極めて合理的であると思え、もし彼が介入しなかったら誰かがすべきであると言えるようなものである。数年にわたって、私も彼の治療法を試行し、他にも沢山の人が試して有効であった。また彼のアプローチはそれぞれの治療者に適わせて用いることが出来る。患者に深くかかわるというのがエリクソンの特徴であり、彼から充分な関心を寄せられた患者は彼の人格から強いインパクトを体験するのである。しかし、それほど打ち込まない(*参考訳=患者に深くかかわらない*)治療者でも彼の多数の技法を使いこなすことが出来る。
 私は本書の改訂版を眺め、その内容に悔いはなくこれを変える必要のないことを嬉しく思う。ここに示した考えや理論は依然として原則的なものであり、症例も不朽でありそのいずれにもエリクソンの治療の結晶が見られる。私がエリクソン研究の記述に家族ライフサイクルという枠組みを設けたことを大変嬉しく思う。本書が書かれた頃にはこの考えは非常に斬新なものであったが、今日では広く受け入れられ、家族生活には治療に必要な段階があるということが認められるようになった。私が本書を書き始めた1960年代に丸一年間をこの研究に費やすことが出来たことは誠に幸運であった。一年で充分だと思っていた。しかし実際にはこれを終えるまでに5年間の長きにわたる努力が必要であった。それは17年間にわたる治療や催眠や実験に関するエリクソンとの会話のテープ記録注) を聴きそれを書きとらねばならなかったからである。当時の伝統的な考え方ではエリクソンアプローチを説明することの出来ない時期に、何とか理解出来るようにエリクソンを記述しなければならなかったのである。自分以外の人の考え方や新しい工夫について述べることは常に困難を伴うものである。述べられた事実やその考えを正しく伝え相手に承認されるかどうかについてはなかなか自信が持てないからである。その考えがまだ定まっておらず形成過程にある時には特にそうである。この本が受け入れられたかどうかについて私が最も嬉しいのはエリクソンがこれを自分の研究を示すものとして非常に喜んだということである。彼はこの本を何冊も注文して同僚や弟子たちに贈ることを喜んでいた。
 本書はあまりにも多くの人からの多年にわたる援助によるものなので、謝辞を述べることが難しい。家族についての概念はこの領域の多数の友人や同僚の中で発展してきたものであり、その治療についての考え方はこの20年にわたる多くの治療者の努力によるものである。もちろん、私がこの本を出版することをよろこんで許可してくれたエリクソンに特に感謝の念をあらわしたい。この治療アプローチ教育を受けたがっているジョン・ウィークランドと私に辛抱強くすすんで時間を費やしてくれた。エリクソンの業績についての考え方はウィークランドによるところが多い。我々は催眠と心理療法に共通の関心を共に持ってきた。グレゴリー・ベイトソンもいろいろな考え方を教示してくれるだけでなく、広範なコミュニケーション研究計画の中で本研究を保護してくれた。この原稿を書く最終段階になってブルーリーノ・モンタールボーと交わした会話は、多くの概念を明確化するのにとても役立った。

ジェイ ヘイリー 1986

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