トラウマからの解放:EMDR

  
フランシーン・シャピロ/マーゴット・シルク・フォレスト 著 
市井 雅哉 監訳

心的外傷後ストレス障害の治療においてEMDRの有効性が証明されている。フランスのISNERMやアメリカの国際トラウマティックストレス学会のような学会の評価で、EMDRは心的外傷後ストレス障害に効果的な治療の一つとされている。フランシーン・シャピロは本書で研究内容を完璧にまとめている。

A5判・400ページ 定価4,410[本体4,200円+税]
ISBN 4-86108-029-0 C3011 \4200E
2006. 3. 15  第1版 第1刷

目 次

  謝辞
1 発見への旅
2 基礎の確立
3 精神と剣:戦闘の悲しい名残
4 治療のあや:隠れた痛みの根底を明らかに
5 多くの顔を持つ恐怖:恐怖症とパニック発作
6 夜を支配する恐怖:睡眠障害と子ども時代の心的外傷
7 人と人の絆:愛着障害
8 レイプによる傷を癒す
9 悲しみに安らかな眠りを
10 中毒の泥沼から抜け出す
11 最後の扉:病気、障害、死に直面して
12 将来の展望:EMDRの世界的な広がり
付録A EMDRに関する資料
付録B EMDRの有効性
付録C
付録D

索引
監訳者あとがき


はじめに

 本書が最初に書かれてから7年の間、多くのことが変化し、新しい疑問が生まれ、多くの研究がなされました。しかし、EMDRの基本理念は同じです。ここで、その理念を振り返ることで、変化と研究を認識し、一部の疑問に答えるのは価値あることです。

心的外傷はさまざまな形をしている
 たいていの人は、新聞に大事件が載ったときしか、心的外傷のことを考えません。心的外傷に苦しむ人として一般の人が思い浮かべるのは、戦争を経験した退役軍人、自然災害の被害者、テロ事件の被害者です。しかし、辞書の定義によれば、心的外傷とは「なかなか消えない悪影響を残すあらゆる出来事」です。仕事、愛する人、所有物でさえも、失ったためにひどく苦しんでいる人を、だれでも見たことがあるでしょう。人間が心の平静を失ったり、心の平静を得たことがなかったりすると、その原因が何であれ、深刻な身体的、心理的な結果につながります。「引き金」が何であれ、そのような原因は通常、過去の体験にあります。そのような体験を「心的外傷」と呼びます。

心的外傷は治癒する
 不安、ストレス、罪悪感、怒り、恐怖は、長期にわたって続いた場合、原因にかかわりなく極めて不健康です。幸運なことに、人間の体は、消化に似たプロセスを使って、不快な体験を解決します。消化器官が食物から栄養を抽出するように、心の処理システムも、正しく機能すれば、体験から有益な情報を抽出します。人間は、このような情報から学ぶことで、前進できるのです。不快な記憶が処理されると、それに伴う感情、信念、身体反応、思考も変化し、健康的に順応します。しかし、負の体験が解決されず、残った感情が日常生活に大きな影響を与えることがあります。心的外傷が喉に詰まったかのように、システムが「故障」するのです。元通りに流れをよくするには、多くの場合、手助けが必要です。ここに、EMDRの出番があります。

体の治療、心の治療
 ほとんどの人は、治療というと、問題について話すだけだと考えます。しかしEMDRでは、心的外傷について詳しく話さなくても、自分の情報処理システムで心的外傷を消化することができます。基本的に、だれかの言葉を借りれば「トップダウン式」ではなく「ボトムアップ式」で処理されるからです<cp:Superscript>1)<cp:>。言い換えれば、問題について語ろうとしなくても、生理的なレベルから処理が起こり、新しい連想、洞察、感情が自然に生まれてきます。EMDRでは、非常に具体的な一連の手順によって、神経生物学者が「情報処理」と呼ぶ、脳内の「消化」機能を助けます。
 多数の神経生物学者、記憶研究者は、大きな心的外傷など悩みの種となる体験が、間違った形の記憶に保存されていると指摘しています<cp:Superscript>2)<cp:>。つまり、苦痛なしに思い出せる「明示的」もしくは「説明的」な記憶に保存されず、当初の出来事の一部だった感情や身体的感触を保存する「暗示的」もしくは「非説明的」な記憶に保存されるのです。このような記憶は、他のもっと有用な情報と結びつくことができないため、記憶ネットワークの中で他の体験から隔離されています。たとえば、他の人がかかわっていることを理性的に見つめ、その人たちに特定の出来事の責任がないとわかっていても、自分を同じように見つめることができません。レイプ犯の行動についてレイプの被害者を責めるべきでないと認識していても、同じ状況になると自分に責任があるように感じたりします。基本的に、どんなに知的で、信心深くて、経験豊富で、教養のある人でも、記憶を間違った形で保存してしまうことがあります。自分に責任があるのではありません。苦しんでいるのです。
 記憶システムは脳の中にあり、脳は身体の一部です。ほとんどの人は、切り傷を負ったとき、破片のようなものが邪魔していない限り、治るものだと認識しています。体がしかるべく傷を閉じ、治ると知っているからこそ、私たちは手術を受けます。それなのに、私たちはなぜか、それと「心の問題」が違うと考えます。しかし、心的外傷を引き起こした記憶は脳の中にあり、脳は体の一部ですから、同じように治癒します。私たちは、犯罪被害者の体のあざが数週間で治ると考え、心の傷は治るのに何年もかかると考えます。しかし、必ずしもそんなことはありません。実際、脳は体の他の部分と同じ速度で治癒する可能性があります。
 多くの意味で、EMDR療法は、医者が患者の腕を固定するようなものです。どちらの状況も身体的で、人間自身の治癒メカニズムを準備し、調整し、刺激するための手助けを必要としています。EMDR療法士は、情報処理システムを扱うトレーニングを受け、まず問題の原因となっている体験にアクセスします。アクセスした後は、きちんと対処して患者を全快させる必要があります。
──後略──


監訳者あとがき

 この本の校正を電車の中でチェックしながら、20年近く前の学生の頃を思い出していた。臨床心理学の勉強は、面白いときもあったが嫌いだった。特に、DSM-Vケースブックは嫌いで、読みながら気分がどんどんと沈んでいった。そこに記載されているのは、さまざまな精神症状を持った人々の姿である。不安、うつ、嗜癖など、臨床経験がまだ皆無に等しかった当時の私にとって、そこで読む話はどれもしんどくて、もちろんどこからどう手を付けていいか想像もつかなかった。そのせいで、本はなかなか読み進められずに嫌な気分の経験だけが長引いた。「どうして症状の記述だけで治っていく道筋を示してくれないのだろう」と著者たちを呪ったりした。クライマックスも落ちもない映画を見せられている気分だった。しかし、知識がなかったせいで、「もう少し勉強を積めばどうにかなるんだろう」という楽観的な見方も持っていた。それ以降、認知行動療法をまあまあ熱心に学んだ私は、不安やうつの問題を抱えたクライエントにどう対したらいいかは少しわかったように感じるようになった。
 でも、自身の臨床経験が増えるにつれ、心理療法の限界も感じざるをえなくなった。回復のスピードは遅く、多くの労力をクライエントに要求し、心の表面的な部分をいじっている感じは否めなかった。特にトラウマと言われる強烈な体験をくぐり抜けた人たちの中にある、恐怖、悲しみ、怒りには対処できなかった。圧倒されるような出来事の前に示される感情は、もっともに思え、共感して聞く以上のことはできない。いつまでも変わらない訴えには、「まだ言ってるの? 早く過去を忘れ、現在に生きなさい」と、全く役に立たないか、むしろ有害な言葉を投げかけそうになる。代理外傷と呼ばれるこちらまで苦しくなる状態をどう抑えるか以上のことはできなかったように思う。こちらの技量を見限られて、治らないまま治療を中断するクライエントのその後がどうなるかは、考えたくなかった。きっと、もっと人生経験を積んだ相性の合う治療者に出会えばどうにかなるのではと、自身の罪悪感を軽くすることで精一杯だった。
 この本に示されているのは副題にも記したように、「根源に届く解放の道すじ」である。EMDRは、出てくる強烈な否定的感情を弱めてくれるだけの治療ではない。記憶そのものを扱い、その出来事を人生の中に適切に位置づけることができる。人は資源(リソース)と呼ばれる肯定的な記憶や周囲の支えを持っている。犯罪被害、戦争、レイプ、加害体験による罪悪感、愛する者の死、そして自身の病気や死の宣告、どれも大変辛いものであることに変わりはないが、人が持つ回復力が適切に働けば、出来事から適切な教訓を得、残りの人生をより意味のあるものに変えることができる。われわれ人類が淘汰の荒波を勝ち抜いてきた、脳内の情報処理のシステムがちゃんと働くことができればいいのである。
 ここにあるストーリーはどれも涙を誘うような出来事である(読者はいわば代理外傷を負うことを免れない)。しかし、DSM-Vのケースブックと大きく違うのは、症状の記述で終わらない点である。解放には道すじがある。適切な順に根っこをたどるように記憶を扱えば、その効果は生体全体に波及する。まるでパズルを解くように傷は癒え、行動が変わり、体は健康を取り戻し、もはや古い被害者の自己は存在意義を失い、新しい前向きな自分が動き出す。
 この本に書かれていることは、どこか遠い国のすごい名治療者の特別な逸話ではない。日本でも、1996年から今日まで毎年、EMDRのトレーニングを開催し、受講した精神保健の専門家(精神科医、臨床心理士など)は800名を越えている。残念ながらそのすべての人がこの結果を出せるわけではない。トレーニングを受けたことは、適切に使いこなせることを意味しないからだ。でも、原理をしっかりと理解し、基本に忠実に従って、それなりの臨床経験を積めば、どの臨床家でもここに示されたような結果を出せる。監訳者自身もEMDRに出会ってから臨床の質が完全に変わったと感じている。臨床の中でクライエントとともにたくさん、回復や解放の喜びの涙を流してきた。私の技量と経験がちょっと増した分、出会うクライエントの問題は昔より確実に深刻で、複雑である。しかしこうした方々とも、問題の本質が分かった、これが人生の転機になるだろう、と思えるようなセッションを毎週のように体験できている。「自分が役に立てている」という実感がある。これほど臨床家冥利につきることはない。
 末筆ながら、翻訳を手がけていただいた舩江かおりさんに深く感謝したい。平易な訳文で読みやすく、治療の雰囲気も大変よくとらえていただいた。二瓶社社長の吉田三郎さんには私の遅い作業を辛抱し、終始励ましていただいた。ついでながら日本EMDR学会を支えてくれている理事の先生方にもお礼を言いたい。みなさんの支援なくしては日本のEMDRはこんなにも順調に成長していなかったと思う。最後に、原著者であるFrancine Shapiro博士に感謝したい。まずは、この素晴らしい方法を世に送り出してくれたことに。そして、博士は1995年夏の福岡以来、訪米のたびに私をずっと古くからの友人のように歓待してくれ、また自分の学生のように鍛えてくれた。私のつたない英語にも辛抱強く耳を傾け、すべての質問に丁寧に答えてくれた。彼女の生き様は、常に私に進むべき道を見せてくれていたように思う。
 本書が多くの精神保健の専門家、一般の読者の目に留まることを願ってやまない。ここがまさに新しい癒しの起源であると確信している。
 
 2005年10月4日 六甲を見上げるあずまやにて
 市井 雅哉



 この治療を受けたい一般の方は日本EMDR学会にご連絡ください。公式なトレーニングを受講した治療者をご紹介します。
 
 日本EMDR学会事務局
 〒673-1494 兵庫県加東郡社町下久米942-1
 兵庫教育大学発達心理臨床研究センター内、市井研究室
 Tel & Fax: 0795-44-2278
 E-mail: info@emdr.jp
 URL: http://www.emdr.jp

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